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525.島原の子守唄(昭和25年)島原鉄道島原鉄道線 島原駅前

作詞・作曲:宮崎一章(康平)、唄:島倉千代子/ペギー葉山
以下二木紘三サンのネットより引用
宮崎は大正6年(1917)長崎県南高来郡杉谷村(現・島原市)生
早稲田大学文学部を卒業後、東宝の脚本部に入社、まもなく帰郷して家業の土建業を継ぐ。昭和22年(1947)には、島鉄道の常務取締役に就任。のちに康平は、「妻に見捨てられた我が子を抱いて、失明の苦悩にじっと耐えながら、オロロン、オロロンと土地の年寄り衆が歌っていたあやし言葉を入れて歌っているうちに、なんとなくきた」のが『島原の子守唄』だと述懐している。昭和28年(1953)には保存会が結成され、九州各地でのさまざまな催事の折に歌や踊りが披露される。島倉さんも歌ったがあまりヒットせず。ペギー葉山の歌でキングレコードから発売されました。これが大ヒット。テーマになっているのは実は「からゆきさん」です。

 明治時代、島原半島や天草諸島の貧しい農家から、多くの娘が身売りに出され、その数は累計20万人とも30万人ともいわれる。
 彼女たちは、島原半島南端の口之津港に深夜密かに集められ、そこで外航船の船底に石炭とともに詰め込まれて、中国や東南アジア各地の娼館に売られていった。

 彼女たちの運命は過酷でした。外航船のなかで船員たちの慰み者になることも多かったし、娼館では辛い性奉仕や男たちから移された病気によって命を落とす者も少なくなかった。こうした女性たちが、からゆきさんと呼ばれた。
「おどみゃ」は「私は」の意
「しょうかいな」はそうかいなという意味
前半のメロディが山梨県韮崎(にらさき)地方の民謡『縁故節』とそっくり。岩手の『南部牛追い唄』が九州の『刈干切唄』や宮城の『お立ち酒』、静岡の『子守唄』などとよく似ている例にも見られるように、民謡の世界ではとくに珍しいケースではない。

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by meikyokukahi | 2019-01-27 15:56 | ①ブログ掲載歌碑一覧(掲載順) | Comments(0)
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